一角仙人
昔、天竺のハラナ国に、一人の仙人有り。
雌鹿の腹より出でて、形は人なるが額に一つの角有りければ、
見る人これを一角仙人とぞ申しける。
修行・功、積もりて、神通、殊にあらたなり。
雲に乗りて、空を飛び、高き山を動かして禽獣を随うなり。
ある時、山路に降りて、
松の雫、苔の露、石岩滑らかなりけるに、
この仙人谷へ下るとて、すべりて地にぞ倒れける。
ずでーん！
歳をとっている上に、しこたま腰を打ったんで、一角先生すっかり腹ぁ立てちまった。
「世の中に雨が降れば、かく道も悪くなり、転ぶようなことになる。
されば、雨を降らす事は龍王のすることなり。
この龍王どもを捕らえて、幽閉せんに・・トハオモフ」
諸々の龍を捕らえて、岩の中にぞ押し込めける。
大変な仙人があったもんで・・
（昔は、雨が降るのは龍の仕業である、と考えられていた・・）
大龍、中龍、小龍、青龍、赤龍、黒龍・・朝昇龍から神田伯龍まで
かたっぱしから、岩屋へ閉じ込めてしまった。
是より、国土に雨を降らすべき龍神なければ、
春三月より、夏の末に至るまで、天下大いに旱魃して、
山田の早苗さながらに、取らでそのまま枯れにけり。
人みな嘆き合えること限りなし。
国王、様々の祈祷を致して、雨の降らんことを願うと云えども、更に力及ばず。
「どうも、おかしい・・」と思い、高名な占い師に診て貰ったところ、
深山に住まいをなす、一角仙人という者の仕業である事がわかってきた。
「けしからん奴ではないか、その一攫千金とやらは」
「いや、千金ではなく仙人にございます。頭に角が生えているのです。
雨を降らす龍神を、のこらず封じこめるなどという、大それた術の使える者は、
かの仙人以外ではあり得ないと思われます。」
「されば、いかにしてか、この一角仙人の神通力を失いて、
龍神を岩の中より救い出すべきか・・
誰か良い考えはないか・・枝野くんはどうだ」
「我が党と致しましてはその仙人に、問責決議案を提出し
これを参議院で可決させまして・・・」
「また始まった、そんな事をやっているから、いつまでたっても支持率が上がらないのだ。」
ここである知恵のある家臣が意見を述べた。
「私は思うんですが、確かにその仙人は、並外れた霊力を持っているのでしょう、
けれども、雨に滑って転んだくらいで、逆切れをするという事は、
それだけ、修行が足りていないともいえるのではないでしょうか。」
「うーむ、確かに、徳を積んだ修行者のする事とは思えぬな。」
「ですから、そこを突くんですな・・」「いかように・・」
「されば、かの仙人、たとい霞を喰らいて、気を飲みて
長生不老の道を得たりとも、心いまだ枯木死灰のごとくならずは、
色に耽り、香に染まる、愛欲などか無からんや。」「うむ」
「しからば、三千人に及ぶ宮中の女人の中より、容色殊に優れたらんを選出し、
かの草案の中へ遣わされて、草の枕を並べ、
苔のむしろを共にして、夜もすがら、羅洞の夢に契りを結ばれば、
などか彼の神通力を失しなわで候べき。」
「なるほど、色仕掛けとは良いところに気がついた。」
諸臣皆この儀に同じければ、すなわち三千の宮女の中から、
扇陀女という端厳美麗なる后を選び出し、これに五百人の美声を持った美女を備えた。
微妙の衣服を着しめ、栴檀香を塗り、沈水香を浴びて、着飾らせ、
絢爛たる装飾をほどこした車にこれを乗せ、仙人の住める山へと送りける。
女達は山に入りて車より降り、五百人打ち群れて歩み寄りたりが、
やがて十二人づつに歩み別れて、然るべき岩谷を巡り、
木の下、峰の間などにて、仙人の住処を囲むようにして、美しい歌を歌った。
こりゃぁ誰だって驚きますな。
「なにごとか・・・未だかつてこのような美しい声は聴いたことがない
天人の下り給えるか、それとも魔性の者の仕業であるか・・」
怪しむようにゆっくりと、出てきた人を見てやれば
苔の衣を着て、手には錫杖を持つ。
その様、影の如くして、骨と皮との限り、
魂は何処かに隠れたらんと見え、頭は雪を戴けるが如し。
額には角ひとつ生いたりて、眼するどく、その、恐ろしげなること限りなし。
仙人、女達に向かいて云うに
「此は、如何なる人のかくおわして、いみじき歌をば歌い給うぞ。聞き及ぶ、喜び隊とはおぬしらか」
「そのようなものではございませぬ」
進み出て応対を致しましたのが、ミス宮女に選ばれました扇陀女という人だ。
今まさに仙人を目の当たりに致しまして、その異様な姿には驚きましたが、
この役ばかりは、誰かに変わって貰うわけにはいきません。
「わたくし共は、天竺から参りましたものでございます。
この度、この山のお噂、聞き及びますに、
よろずの花咲き、水の流れめでたく、並び無く面白くして、
その中に、止む事なき聖人のおわしますと聞きて、
ぜひ一度われらの歌謡いて聞かせまつらんと、
こうして遙々、深山へと参りました次第。
かかる山中におわしまさば、未だかくのごときの事をも、聞かせ給わじ。
また、結縁も申さんと思いて、この上は、いかなる事也とも、謹んで承る積もりにございます。」
三千人の宮女の中から選ばれた、美女だ。
それがわざわざ山の奥まで自分に逢いにやってきて、
「いかなる事也とも承る・・何をしたっていいのよ・・」
と言っている。
これにはさしもの一角仙人、目を三角にして戸惑った。
何をどうして良いか、どう反応して良いのかもわからない。
ただただ額の角をふるわせて、まごつくばかり・・
扇陀女は、仙人の眼をみながら、
微笑むとも悲しむとも、読みとれない表情のまま、岩屋の隅へと招く。
さしもいみじき、珠のウテナを出でて、
見るに悲しげなる草案に、立ち入り給えば
苔もる雫に袖の露、乾く間もなき御涙なれども、
国王の命にあれば、辞する言葉もなく
十符のスガゴも敷き忍び、小鹿の角の束の間に、
千歳を重ねて契り給う。
仙人も岩木にあらざれば、あやなく后に思いしみて、
言の葉ごとに置く露の、あだなる物とは疑わじ。
それ仙道は露盤の気を嘗めても、淫欲に染みぬれば、
仙の法、皆尽きて、其のしるしなし。
これでもう、仙人の霊力が切れてしまったんで、
竜王は岩谷から簡単に逃げ出すことが出来た。
門番が目を離して、遊びに夢中になっているようなもんですからな・・
諸々の竜王、喜びを成して空に昇りん。
昇るや遅きと、虚空曇りて、雷電霹靂して大雨の降りん。
これにて農民、耕作を事とせり。
「これはいかん」と仙人は
再び龍神を封じ込めようとしたのですが、
もはやかつての様に、仙術に力がございません。
気を抜かれてしまっておりますんで、月並みの力しか出ないんですな。
これでは龍はつかまりません。
後に后は宮中へ立ち帰り、国王みずからの手厚い礼を受けられたという。
されば一角仙人はといえば・・鯨桓の審も破れて通力も無く、
金骨返って元の肉身と成りしかば、仙人たちまちに衰弱して、引き篭もる。
今はただ、扇陀女と交わしました、
溶けるような契りの数々を思い出しては、
二度と会えない定めを、しおしおと、めそめそと、へなへなと・・
嘆き続けているのでありました。
およそ、煩悩の根元を切り、
迷者の絆を離るる事は、上古にも末代にも
よくよく有り難き事にて侍るにや・・
一角仙人、扇陀女の色香に迷い霊力を失う、という一説
これを持ちまして、読みおわりとさせて頂きます。