蔵書記　其の十二　　　　　　　　　上野茂都

現代名演説集　　雄辯新年号付録　

　この本は表紙も厚く、しっかりしたものなのですが、付録と知って驚きました。三十五名の辯士による演説が収録されています。内容も、政治、外交、経済、文藝、宗教、教育と多岐に渡り、手を挙げ拳をふり、獅子吼しているのが伝わります。序文によると、演説がもっとも盛んだったのが、自由民権運動の頃ださうで、その後規制が強まり、やや形骸化してしまったのが、普通選挙の実施に伴い、新たな黄金期を迎へつつあると…ではさっそく本編から、熱弁の幾つかを紹介していきませう。

人間萬事塞翁が馬か・高島米峰（仏教学者）……この誰でも知っている故事から、禍福はあざなへる縄のごとし、人間の力ではどうする事も出来ないのだ…さふ言ってしまふ事は簡単ですが、あまり運命論ばかりに陥ってしまふのは如何なものでせう。一升マスは一升しか入らない運命を以て生まれておりますが、そのマスの中に何を入れるかは、我々の自由意志に寄るところである！ 水を入れても一升、米を入れても一升、酒を入れても…とは禁酒運動の先生なので例に挙げません。

文學と民衆の接近・佐藤紅?(小説家)……こと芸術作品においては、道徳的な作品より、非道徳的な作品の方が、芸術的であると評価されがちな風潮。しかしそれが本当に民衆の望むところなのでせうか！ 辯士は、近松と西鶴、春水と馬琴を例に挙げて考証しています（源氏物語は知識階級が愛読したもので、民衆の為に書かれたわけではない）。自身少年文学の大家であるだけに、純文学と大衆文学との葛藤が見えるやうです。お嬢さんなら「ナニガメデタイ！」と一喝されるでせう。

宇宙第一の書・山室軍平(救世軍少将)……ある時、横浜の女学校に二人組の泥棒が入った。校内に居た女学生達を次々に脅し、金目の物を盗み去ったが、数日の内に逮捕されてしまふ。之を聞いたある女学生は、自分の物が盗まれている事も構わず、一冊の本（聖書）を差し入れしたのである！ 泥棒達は北海道に送られるが、そこに務めていた教誨師が、聖書を持った囚人に注目し、丁寧に悔い改めさせてあげたのである。出獄の後は、二人とも熱心な基督信者となって生活を営んだといふ。講談のやうなお話しだが、演説では女学生も教誨師も実名で紹介しております。

生活必需の課税を全廃すべし・清瀬一郎（法学博士）……なんと、戦前から今と同じやうな議論がされていたことにまず驚きます。しかも消費税といふ言葉が既に使われているのですね（現今のものとは違ふ）。関税、消費税となると其の物の消費者は貧富の別なく同額の納税をしなければならない！貧乏人の子沢山（当時）であればそれだけ日用必需品は沢山使ふ！貧乏人に重く金持ちに軽いといふ事になる！ 演説では特に、砂糖、塩、綿糸などに触れています。

売笑婦の問題・加藤拙堂（仏教学者）……この頃にはまだ公娼制度があったのですが、辯士は敢然と廃止を主張しています。歴史を辿りながら弁ずるのですが、万葉の時代から近代まで、うかれめ、白拍子、遊君、立君、辻君、勧進比丘尼、歌比丘尼、踊り子、羽織、金猫銀猫等、その異名の続くこと…。どれだけ取り締まっても根絶出来ないなら、公娼制にして取り締まる方が早い、といふ説に対し、窃盗や強盗も根絶し難きが故に公許せんとの理屈は通りますまい！ と一蹴。

西郷隆盛と大久保利通・谷本富（文学博士）……明治維新の二大元勲、何故か人気においては甲東（大久保）は、南州（西郷）にまったく及ばない。その原因を色々な例を挙げ（頼朝と義経、秀吉と家康など）語っている。要するに西郷は英雄（ヒーロー）で大久保は政治家（ステーツマン）なのだ！と。 木戸＝智、西郷＝情、大久保＝意志、といふ分析も面白い。

現代名演説集
雄辯新年号付録
昭和三年発行　
発売所　大日本雄辯會講談社